火傷の治療方法や口コミ情報の紹介をはじめ、受傷された方の交流を目的としたSNSの運営を行っています。

大学生活も終盤にさしかかったころ、
周囲はお別れ会や卒業旅行など糞うらやましい人もいましたが、
真面目というか(負けじゃない!)大学院進学を決めていた私は、
事前準備ということで六ヶ所村にきて実験やお勉強などをしておりました。

そしてその今日が最終日!

のはずだったのですが、
世に言う(言わない)六ヶ所村インパクトに巻き込まれ、
数ヶ月間見知らぬ天井を見続けるはめになるのでした。

今日も昨日と同じ、何度もやっている実験作業をこなすだけです。
耐圧装置からの漏れの原因を調べていました。

もうまったく原因が分からないので、すぐに帰れる雰囲気でもないようで、
今後のスケジュール変更が必要かもしれないなどと思い始めていました。
ほぼ毎日の病院検査(バイト)と、さらに家庭教師2つ、公文のせんせい、
を休んでいたので、再開の日時を後ろにずらすことになるかもしれない。
 ※むしろ学業やるきあんのかこら級w

メールでもしておこうと思い、休憩的な空気を見てトイレへ向かいました。
実は、昨日飲み過ぎたせいで、腹がごろごろ言っていたのもありでした。。
そのわりにはあれがなかなか出てこずフンバル(ry

で少し長めのトイレから戻ってくると状況が進展したようで、
みんなスタンバってて私待ちって感じになってました。

なにしろ、私と他の学生は酸素を充填した耐圧窯を押さえ、
先生らが窯に刺さっている棒を回すという男5人がかりなのです。
そして、一番下っ端の私は力仕事担当ということで、
体を窯に密着させるようにして必死で押さえたのでした。

そしてその行為の何回目かでアレが起きました。。。

そう、これが後の六ヶ所村インパクトである。

6impact

(後記)
2000年3月10日は、私と爆発の記念すべき出会いの日です♥

六ヶ所村と言えば核燃料の再処理工場があることで有名な大国ですが、
大きなニュースにならなかったのは、
当時の原子力業界(村)で生きる人同士の強い絆w のたまものなのでしょう。

別に核反対じゃないし、核の技術には夢があって好きだけど、
311の大震災以来、反対勢力は増えたし、声もそれなりに大きくなってきて、
平等な議論ができるようになって、ようやく普通の政策として見れるようになりましたかね。
広告主とか株主とかのへんは知らんけど。。。