火傷の治療方法や口コミ情報の紹介をはじめ、受傷された方の交流を目的としたSNSの運営を行っています。

もうすぐ2000年も終わりです。
今年は本当に凄い年でした。大学院行くか~。と思ったら、いきなり人生初の入院。
自分が障害者成りというのはまったく予想しなかったパターンでした。

しかし、こんな程度のことは、障害とは言わないかもしれません。他の障害を持つ人と比べれば超軽いことは明らかだからです。
多少の制限は伴いますが、勉強しようと思えばできます。普通に働くこともできます。そろそろ泣き言を言う次期は終わらせなければなりません。
私よりももっとひどい障害を追ってしまった人には、私がこうしていじいじと嘆いていることに憤りを覚えるでしょうね。というのは、私より軽い障害の人が、嘆くのを見ると、少々むかつきを隠せないからです。なにを、そんなことで!!って言いたくなってしまいます。大した悩みでもないのに、うじうじしている人にもがつんといってやりたくなります。
人間ってそういう物なのでしょうね。
私より悲惨な人も、幸福な人も。それに応じた悩みを抱えてるもので、簡単には比べられないのでしょう。
たぶん私が思うほど、本当の私の置かれた状況は悲惨ではないのだろうと思います。

世の中にはスキーのケーブルカーのなかで地獄に遭遇する人もいれば、先進諸国の都合で途上国の地雷が毎日数十人の体の一部か命を奪割れる人もいます。
死んでしまえばもちろんそこで一切は終わり。苦しみもありませんが考えも思いも消えるのです。死を前に残された人々の心境は、こんな修羅場経験者のわたしでもとても推し量れません。存在がなくなるとかはちょっと次元が違いすぎる。

私を気遣ってくれる、親戚や家族もあと十数年すれば死ぬのです、もちろんわたしも。
そんな定めの人生において、このぐらいの怪我がいったいどれほどの影響力を持つのでしょうか。
いきなり死ぬことに比べたら火傷なんてこんなもの・・・です。

近頃では、人間は死ととなりあわせなんだ、ということを常に心の片隅におくことができるようになりました。これって意外と凄いことですよ。言うことは簡単だけどこれは何らかの壮絶な体験がないと本当に思うことは不可能と思います。
このことは今後の人生のなかで役立ちそうです。人生常に背水の陣ということで何でも一生懸命に取り組めそうな気がするからです。
いろんな事がきっかけがあるでしょうけど、私の場合は、そのきっかけが火傷という事になります。ちょっとひどいんじゃないとも思いますが、選ぶ権利なんかありませんよね。宇宙または神の中にいる人間ですから、ちょっとスケールでかくなってきましたが。。。
もっとも、無傷で人生を終えることが目的ではないのです。何をしたか、どんな過程を踏んだかが、まさに人生の目的でしょう。
そのためにはなんでも平和に事をすますことがいいこととは限りません。むしろ傷を負うことで、より人生がせっぱ詰まったものとなるのではないでしょうか。傷だらけの人間って味がありますよね。

今回のことで多くを失いましたが、だからこそ多くのことを得た。つまり、正常な体を失って、味を獲た??・・・
なんかよくわかりませんがそういうことになりますかね。。。

これらはこれまでみんなが私を励まそうといってくれたこととだいたい同じ事です。やっと今の時期になってそう思えることが不可能ではないと感じています。
このいいかた、またまた微妙ですけどね・・・